日記の苦手な小学生がカタルタを使ったら。その2

先日の記事では、日記の苦手な小学生のお父さんの感想をご紹介しました。そして、望ましいアクシデントの起こし方に関心がある、というところまでお話ししました。今日はその続きで、カタルタを「どう使ったか」にフォーカスします。

あの手この手の1つとしてのカタルタ

まずはじめに、直接お父さんに伺ったお話を追加しながら状況を振り返っておきます。
この日お父さんは、宿題の日記を書かずに寝るところだったお子さんが、踏ん張って日記を書こうとするのを手伝おうとしました。その際「ふと思いついて」カタルタを使いました。使用したバージョンはスタンダード版とのことでした。これまでの日記の9割がたは「今日〜、まず〜、次に〜、楽しかったです。」という展開で書かれており、これをお父さんは宿題が嫌だから手を抜いているんだろうと思っていました。カタルタを使って話がいつもと違った展開で書かれるのを目の当たりにする中、ある発見をします。

お父さんは「なぜなら」がうれしかった。

このとき、お父さんは特に「なぜなら」という単語が使われたことがうれしく、衝撃だったとおっしゃいます。 お子さんは国語の宿題で「なぜなら」の使い方を問われたとしたら、問題なく理解しているのだそうです。しかし日記では「なぜなら」が使われることは過去にないことでした。ちなみにこのとき、引いたカタルタに「なぜなら」と書いてあったわけではありませんでした。独力で自然に使ったのです。だからこそお父さんにとっては、「なぜなら」を使った!という衝撃度が増したのだそうです。そのことを指してお父さんは、(日記の中で知っている接続詞を使って話を展開させる)「発想がなかった」「回路ができた」と表現されていました。実際、後日も「まず、次に、楽しかったです」ではない日記になっていたとのことです。

どう使ったか

使った手順は先日の記事でご紹介しましたが、もう一度抜き出しておきます。

今日、ふと思いついて、一文を書いた後にカタルタを5枚引かせて、その中の一つを選んで文を続けるようにさせてみた。 そしたら、少し話が展開した。それを3回間にはさんだら日記がいつもの3倍位の長さになって文章らしくなった。

お話を伺った中で、うまくいった要因なのかなと個人的に思う点を3つ挙げると、

①鹿児島ではめずらしく雪の積もった日だった。
②毎度カードを5枚引かせたこと。
③カードの言葉を自分で選んで使わせたこと。

①は地味に見逃せない幸運です。鹿児島ではめったにない大雪で、街のあちこちに雪だるまやかまくらができていました。息子さんも例に漏れず、存分に雪遊びを楽しんだようです。そもそも本人に語れる内容、語りたい内容があることは、即興の難易度を下げる大きな要因でしょう。

②は単純に考えてワクワクする類の行為です。宿題ではまずやらないことでしょうし、気乗りしない取り組みを前に進めるために、ポップな儀式を導入した格好です。「偶然の下の平等」とでもいうべきものがあって、そこには、教える教わるではない関係性が立ち上がるように感じられます。誰も答えを知らない、体験を前にした平等ゾーンと言いましょうか。このプロセスは、やらされてる感を追い出すのに一役買いそうです。

③は即興性を格段に下げる使い方です。オモテ面(言葉面)が最初から見えた状態で使えそうなもの、使いたいものを選ぶだけですので、語り手が不慣れな場合や、複数の参加者で言語運用の習熟度にばらつきのある場合、語るテーマへの理解度がまちまちな場合、事実に基づいてじっくり語りに集中したい場合にオススメです。(そういえば鹿児島大学の久保田治助先生がこれに近い使い方を、社会教育の授業で実践されているのを見学させていただいたことがあります。)

カタルタの使いどころ

こうしてみたときに、カタルタは使い方次第だなあとつくづく思います。今回のことで特に③について考えを巡らせ、カタルタを使うのに適した場面のイメージが図になって浮かびましたので、勢いで共有しておきます。

思考のコントロールを強めるか弱めるかの両極が、カタルタの出番なのでは?という仮説を示した図です。「弱める」というのは、カタルタを「普段の思考を手放すための助けとする」ということです。そのためには即興性高くカタルタをめくる方向で、やり方を調節します。たとえば、3枚裏返しに伏せて置いておき、順にめくりながら作文するであるとか、54枚を5分ですべてめくって語るといったやり方が例に挙げられます。

逆に「強める」というのは、「思考を確実に進めるための助けとする」というイメージです。知っている言葉がビジュアル化され、モノ(カード)としての形態を与えられているのですから、その特徴を活かすようにやり方を調整します。
カタルタを使うことは「書くこと」と「話すこと」の両方に足のかかった行為ですが、それだけではなく、カードを「見る」「選ぶ」「配置する」といった行為が具体的に発生します。今回の例で、たとえば「選ぶ」という行為一つ見てみても、次のような思考がなされた可能性があるのではないでしょうか。

・カードの語を知っているか
・この日記の中で使えそうか
・具体的にどう使うか

「即興で答える」といった瞬間芸とは違い、このような各ステップに対して丁寧に意識がなされることが、思考を「確実に」進めることを手助けすることにつながっているものと考えます。

さて、「望ましいアクシデントの起こし方」に関心を持ちながらこの記事を書いていますが、ただただ即興でめくればよいという話ではないのは確かです。おそらくは、思考を弱める側からも強める側からも、望ましい驚きにはたどり着けるのでしょう。求める先は驚きといっても、静かな衝撃のことです。また次回、もう少し続きを考えてみます。

::2016/02/08の記事を一部修正して再掲::