保育園の懇談会でカタルタを使う。

先日、3歳の息子が保育園に入り、園の懇談会があったので参加してきました。担任の先生と妻との何気ない会話から、その懇親会でカタルタを使ってみたいとのお話をいただき、私がお母さん方を相手にカタルタを使って場をほぐす、というお手伝いをすることになりました。場の目的は、その後の意見交換で意見が出やすくなるよう参加者にリラックスしてもらう、ということでした。

境遇は違えど目的や状況に重なる部分がある方にとっては、参考になるところがあるのではないかと思い、記事にすることにしました。

まず状況ですが、入園後初めての保護者参観の機会で、クラスの親御さんが20名ほど、広めの教室に集められました。クラスは年少さんから年長さんまでの縦割り保育で、顔見知りが三分の二。残りの三分の一が初対面とのことでした。数人の先生やお母さん代表の方がお話をされた後、参加者全員の自己紹介の場面でカタルタを使いました。

やった内容は、「名刺交換」というミニワークです。古くからカタルタをご存知の方にはもうお馴染みかもしれませんが、軽く説明すると、2人組になって名刺交換の要領でカタルタ1枚を交換し、手元に来たカタルタを使ってお題の一文の続きを語る、というゲーム感覚のワークです。全員に1枚ずつカタルタを配り、制限時間内で次々と相手を交代して「名刺交換」を繰り返します。時間は10分程度です。

この日のお題は「(お子さんの名前)の母です。子どものことで最近、うれしかったことは__です」としました。参加者に共通の関心をそのまま語り出しとしています。自己紹介といっても、深く自身のことを話す必要性がその場にありませんし、保育園の親御さん同士がお互いの事情を教えあうのは、強制されるべきものではないからです。

外せないポイントは、カタルタの交換を繰り返しても、お題はずっと同じものを使うということです。カタルタはどんどん新しいものが巡ってきますので、続く展開は交換したカタルタの枚数の分だけ、違った内容になります。

場との相性がよかった

感じたことの1つは、場自体へのハマりのよさです。参加者の方々が「子どもたち」という共通の関心で集まっているため、やりやすさがありました。語りのテーマを子どもに関するエピソードにすることができたのも、この前提あってこそです。

今後も付き合いがあることを思えば、初対面や距離感がそう近くない人に対して、自分の内心を即興ゲームで語ることは、多少なりとも工夫と配慮が必要とされます。しかし、今回のように似た立場にある者同士で、子育ての話題に重心が置かれているのであれば、語り手の話は聞き手にとっても基本的に有意義なものです。

言い方を変えるなら、元々、語られる内容に対して、聞き手側の需要があります。そこへ、ゲームのルールということで、コミュニケーションの作法が持ち込まれているようなものです。突如採用された作法は、語りが聞き入れられる「枠組み」として機能します。語りのテーマに必然性がない場合は、「枠組み」が不用意な「強制」になってしまうところに注意が必要ですが、今回は関心の揃いがよく、その「枠組み」が機能しやすいという意味で、カタルタをめくって語るにはとても相性のよい場だったと思います。

普通に受け入れられた

2つ目は、カタルタをすることがまるで普通のことのように受け入れられたことです。参加者の方は、ほとんどの方がカタルタを知らず、事前にカタルタをやることすら聞いていない状況です。お母さん方は、子どもたちの成長と保育環境に興味があるだけです。そこへ異物が持ち込まれるのですから、そういう意味では、若干のハードルの高さがあります。ですが、構えられることなく、ごく自然に受け入れられた感があり、ホッとしました。

異論はあるかもしれませんが、カタルタは一見、薄味で主張のないツールです。カタルタを構成する要素は際立って奇妙なものではありません。カタルタが持っているモノとしての馴染み深さや、既知の情報しかプリントされていないという安心感は、場に目的があるときほど効いてきます。誰も不必要なことをやらされることは望みませんし、場の目的に対する見通しが立たないことを経験するのにはフラストレーションを伴います。

もしカタルタにもう少しでも意味のある文章が書かれていたら、何をやらされるのだろう、どこまで語らされるのだろう、という不安や警戒心が出て来かねません。目的を思えば、その時点でアウトです。ですから、大袈裟でない雰囲気でワークが受け止められることは、カタルタの利点なのです。

発言への準備運動になっていた

3つ目は、ミニワークがその後の語らいのよい準備運動になっていたということです。アイスブレイクとして雰囲気をほぐしつつ、その後の語りの練習になるのなら、一石二鳥です。実際、カタルタ後に、輪になって行われた意見交換の際、カタルタのワークで一度話した内容をまた全体に向けて話すお母さんがいらっしゃいました。

ランダムなカードに話の展開を委ねるというワークの性質上、話せなかったことも話せたこともあったでしょうが、どちらにしても事前の練習が、本当に話したいことの言語化を助けているように見えます。ワークでうまく話せたらその表現が活かされるでしょうし、逆にワークで意図に沿わない内容を話さなければならなかった場合は、本来話したかったこと自体への意識が強まり、本番の意見交換で他の参加者へそれを話したくなるかもしれないのですから。

こうして、話のパーツを交換しながら何度も語られた話が、カタルタによる制限を解かれたとき、よりよく編集された状態で全員にシェアされたとしたら、それは語り手にとっても聞き手にとっても望ましいことででしょう。

全体を振り返って

今回、個人的には久しぶりに名刺交換ワークを実施しました。結果、「話しやすい雰囲気をつくることができた。意見もよく出ていた」と先生にも喜んでいただけました。名刺交換という使い方は、安定のパフォーマンスを発揮してくれました。うれしいことに、「よかったので、2週間後の研修でも使ってみたい」とのお声もいただきました。仕事への熱心な取り組みが随所に伝わってくる先生ですし、お役に立ててよかったと心から思います。

また、こちらとしても不思議な充実感がありました。今回の機会は仕事として依頼を受けたのでもなく、ごく普通の暮らしの中でごく自然に一人の親として引き受けたことです。打合せにあたる会話も、ほんの短い立ち話でした。その状況で、カタルタを使う機会を全うできたことに安堵したというのもありますが、もっと漠とした希望を感じました。それは、カタルタがごく自然に社会に受け入れられうるものだということについて、私自身が実感を持てたということなのかもしれません。

今回の記事でご紹介した「名刺交換」ワークを試してみたい方は、こちらの記事を参考にしてみてください。